無思考、無我の体験のその先はお試しセッションで波動が高まると無思考、無我の体験が起こりそれによって本質からの光が差し込みます。すると、一元の体験に近い感覚を覚えさらに大きく浄化が起こってくるのです。mananaが驚くほど、クリアになる方がいらっしゃいます。ただこれは体験なので、ほとんどの場合一時的なものです。1か月も経たないうちに波動も感覚も、ほぼ元に近いところまで戻ることが多いです。長い目で見れば、更なるプロセスがそこから始まっているのですが今生、高いハードルを掲げてきたケースでは気づきに気づいたこととのギャップを埋めるためにそこから始まるプロセスはハードでしょう。それをひとりで何とかしようとするのはなかなかですからそのために、週一のセッションが用意されてい...25Dec2016サイレンスレゾナンス無我・無思考
アイコンタクトセッションにて。クライアントさんの目と目と合わせたそのときぐいぐいと体ごと持って行かれる感覚がやってきて実際に前のめりになり向き合ったその人の目とmananaの目とがまるでひっくり返るかのようなちょっと表現しがたい感覚を体験するのです。しばらくするとその感覚の波が引いていき次にやってくるのは空っぽさです。ぺたんと平べったい、中身のない感じが視界に広がります。そこに誰もいなくなるのです。最後に特殊効果で写真を加工したような世界が延々と広がり続けます。これらはmananaの感覚です。それが何を意味するのかとマインドは考えたくなるものですがそのとき実際には何も意味などなくただ起こることが起こっているだけですがマインドの視点からは理解しえな...14Dec2016
ダイレクトパス実験 物には、みな、さまざまに思考がくっついている。例えば、ミカンを見れば、その甘さや酸っぱさだけでなくどこそこでいつ買ってきた、どこ産のミカンだ、などと。ふとテーブルのカップを見れば、誰それのカップであるとまずその所有者が浮かび、さらにそれにまつわる思考が浮かぶかもしれない。テーブルを見ればそれがテーブルだと認識し壁や天井を見るならば、それは壁だ天井だと認識している。実は、この一見あまりに当たり前すぎることがわたしたちの認識をゆがめ、正確に物を見ることをゆがめているのです。 ミカンと自分との間に距離はあるか?と問われたとき自分はこの思考感情であり、この体に居る。ゆえにミカンやテーブルとの間には距離がある。壁や天井との間にも距離があ...05Dec2016本質、在る無我・無思考グレッグ・グッド