ダイレクトパス実験


物には、みな、さまざまに思考がくっついている。

例えば、ミカンを見れば、その甘さや酸っぱさだけでなく

どこそこでいつ買ってきた、どこ産のミカンだ、などと。

ふとテーブルのカップを見れば、誰それのカップであると

まずその所有者が浮かび、さらにそれにまつわる思考が浮かぶかもしれない。

テーブルを見ればそれがテーブルだと認識し

壁や天井を見るならば、それは壁だ天井だと認識している。


実は、この一見あまりに当たり前すぎることが

わたしたちの認識をゆがめ、正確に物を見ることをゆがめているのです。

ミカンと自分との間に距離はあるか?

と問われたとき

自分はこの思考感情であり、この体に居る。

ゆえにミカンやテーブルとの間には距離がある。

壁や天井との間にも距離がある。

と、そう考えが認識しているだけなのです。


この、感じる距離とは、自分は体だからこそであり

体を基準に距離を感じているわけです。

この考えを捨ててみたとき、必然的に主体と客体が消え失せてしまい

見ているミカンは見ているはずの自分そのものとなるのです。

そこに距離なんてなかった。

自分とミカンの間には、何の違いもなかった。

自分は同時にミカンであり

同時にテーブルであり

壁であり

天井であると知るわけです。



と、こんなダイレクトパスの実験を

少し前にRPGK(リアルピグ共鳴)の集いでやってみた。

気づきのある人は、さらに気づきが深まりますね。




日々のつぶやき ~mananaのブログ2~

いつも頭の中でぐるぐると渦巻いている思考。 それが自分と、これまで思い込んでいたけれど もしその思考が無くなったら その時それだけで、あなたが観ている世界はぐるりと反転します。 思考が無くなったそこは、在る、実存、プレゼンス、などと呼ばれるそれです。 本当の自分は、在るだけで満たされ、至福です。 存在は初めから至福であり、愛そのものであり、光です。 そこには、不安や恐れのかけらも見当たりません。

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