グレッグ・グッド
気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?―ダイレクトパスの基本と対話
(覚醒ブックス)/ナチュラルスピリット~より
つまり、自分は何であるかという考えによって、世界がどんなもので構成されていると感じるかが決まるわけです。
自分は身体だと考えているなら、自分の身体とは別に存在している物質で構成された世界を体験するでしょう。
自分とは心(マインド)のような目に見えない要素だと考えていれば、自分の心(マインド)とは別に存在している目に見えない要素とエネルギーとで世界は構成されていると見るでしょう。
もし自分は気づきだと考えていたら、世界は気づきにほかならないという体験をするはずです。
でも、ここで素晴らしいことが起こります。
自分を目に見える存在であるとも目に見えない存在であるとも考えなくなると、自分は気づきだと信じ続けなくてもよくなるのです。
自分は気づきだという信念はやさしく消え去って、必要ないものになります。
役割を果たし終えてしまい、要らなくなるんです。
それは、気づきという概念そのものに、気づき以外のものごとと対照区別する意味があったからです。
山と川はふたたび山と川になります。
対比するものの一方の本質が見抜かれたら、対比そのものが溶け去ります。
それとともにあらゆる執着の可能性も消えます。
これがあなたの自由なんです。
「自分を目に見える存在であるとも目に見えない存在であるとも考えなくなると、」
ここが肝です。
そう、いわゆるスピでは思考が現実を作ると伝えています。
それだけに、その思考そのものがいなくなることで、つまり何とも考えなくなることで、信念や執着さえもその可能性が消え去ると、グレッグは言ってますね。
それがあなたの自由だと。
ほんとうにその通りなんです。
実にダイレクトです。
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