個人を個人たらしめているのは、私は誰それであると考えているその思考です。
その思考は過去の記憶を時系列でまとめ上げて、私はどこそこの生まれでこれこれの育ちで、と自己の来歴を語ります。
それら記憶の蓄積と、原始的な脳からやってくる感情と、見たり触ったりすることで他と区別している体とを、自分は個人だと思い込んで生きています。
人が人と成るのは、家庭や地域、国の文化に触れて育ち、そういう教育を受けるからです。
何らかのアクシデントで人の手で育てられなかった子供は、人としての知識も文化も持ちえません。
そこに思考(考え)が育たないからです。
つまり思考は、言葉そのものだということです。
国によって言葉は違い、文化もまた言葉から生まれますから、言葉の複雑さで文化も複雑になり、それによってその国の国民性にも影響を与えることです。
これほどに、言葉は大きな役割をもっていて、かつそれによって人は個を掴むのです。
思考は空想も妄想も区別しないので、頭の中で創り上げたその世界がその人にとっての現実世界となります。
作家の創作の世界も、統合失調症や麻薬中毒由来の妄想も、等しくその人の世界へ反映されます。
まさに、世界はあなたのワンダーランドです。
どのように創り上げようと、全くあなたの自由なのですが。
それにしては、ネガティブを掴んでは不自由をかこちます。
それは表層へひょっこり出てくる思いつきよりも、ずっと底流に流れるベースの考えが大きく世界に反映されるからなのですが
それがこの世界へ出生してくるときに、掲げてきたブループリント由来ということです。
いわゆる前提、信念、観念、価値観などという考えです。
それもこれも気づいてしまえば、無かったことです。
何故ならそれは、ただ考え(思考、言葉)というエネルギーでしかないからです。
元々のあなたは、はなから自由です。
まったく規制されることなどない、自由そのものなのです。
そして気づきは思考が消え去ったそのとき、不死鳥のようにふんわりと舞い降りるでしょう。
けれどもそれは、光そのもの、愛そのものとして、元からずっとここに在ったのでした。
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