幻想からの離脱駅前のケヤキ並木もすっかり色づいています。美しく秋が深まっています。わたしたちの意識も深まっています。セッションに来てくださっている方々にも幻想からの離脱が起こってきています。 分かってしまえば、一気呵成です。わたしたちは、もともとこれだった。これ~気づき、在る、意識~でしかなかった。気づきがひたひたと浸潤していき自我はいつの間にか遠ざかっていくのです。それまでずっと、頭の中に住んでいて不思議とも思わなかったことが、ひっくり返るのです。みな誰もが、もともと気づき(在る、意識)であること一旦これに気づいてしまえば、否定することは何もなくなり全体の意識へと視点が移動してしまうことでもう本質の自己にすべてお任せとなるから大丈夫ではないこと...22Nov2016本質、在る
ほんとうのわたし ほんとうの自分という言葉はひとつの表現であり、道標であり、暗喩です。何故なら、そこに自己意識はなくそれは、ただ開かれた明晰さであり底抜けの空っぽさであり果てのない広がりだからです。そのような感覚があるだけなのです。その感覚もこの五感をもって初めて感じることです。それほどの何も無さ。それがわたしたちの源ということは根拠もなにもなくただそうと、直接知るだけなのです。 12Nov2016本質、在る
欲望はそこにある ~覚醒の炎より~~前略~欲望はそこにある。いつも、いつのときも、そこには絶えざる欲望がある。自由に達した後でさえ、それはまだ続いていく。自由は顕現(世界の現われ)を消し去ることを可能にする。その瞬間、あなたは非顕現に入る。非顕現からこの欲望は起こるのだ。それはその彼方を探し求めようとする衝動だ。これは測り知れない海、底なしの海だ。それはすべての概念を超えている。それは意識そのものだ。そしてその深さを測った者は誰もいない。空の中でさえ、この「非顕現」と呼ばれる状態の中でさえ、この「非顕現」、この自由を超えていこうとする衝動が起こるのだ。あなたが自由を得たとき、あなたが束縛からの自由を勝ち取ったとき、あるいはむしろ、束縛という概念からの自由というべきだ...01Nov2016パパジ