投影


誰もが、自分自身の認めたくないクセや傾向を持っています。

それを良い悪いと判断したときに

悪いと思えることは認めたくないので、考えの外へ追いやります。

闇に葬ってしまうようなことが起こるわけです。

自分の闇の部分は、どうしたって向き合いたいと思えないから。


その闇の部分は、普段は表に出て来ないけれど

私たちは全体でひとつ、ワンだから

向き合った相手にそれを見てしまうのです。

あなたの人生の中で、そのときその人が、それを見せてくれるのです。

日常の中で、それは起こります。

親子で、夫婦で、友人や仕事の関係性の中で

それはいつでも起こされて、見る羽目になるわけです。

たとえ親子の縁を切っても、離婚しても、転職しても

自分自身が変わるその日まで、終わることなく見続けるのです。


自分の中の負の部分である闇は、ブループリントに書かれてきたことです。

これこれと向き合おう、と自分で決めてきたことです。

それは前世的なカルマや家系的なDNAを背景にして、刻まれてきます。

この体、この個体は、それを体験するがために、今生出てくるわけですから。

そのすべてに気付けたなら、ゲームオーバー、終点です。

終着駅に行き着いたなら、そのとたんに

そんな列車、そんな線路はなかったと気づくのですが

それまでは、カルマやDNAを背景にしたブループリント列車に乗っていて

それがその人にとってはまさに現実であり、リアルそのものにしか見えません。


それらも全部、言葉であり、思考であるわけです。

そうやって言葉にして、ストーリーを紡ぐのでリアルに見えるという

ほんとうのところは、たったそれだけなのです。

正しいとか間違ってるとか、言っているのは誰ですか?ということですね。

なので、はたとそれに気づくならば

思考は単なる幻想(エネルギー)なので、気づき(本質の光)の前で溶け去ります。

すると、みるみるうちに

あれほど嫌だった相手のその部分がなくなったり、気にならなくなったりするのです。


この体験はまるで魔法を見るように感じるかも知れません。

でも、この魔法の方が、ほんとうのリアルなんです。











日々のつぶやき ~mananaのブログ2~

いつも頭の中でぐるぐると渦巻いている思考。 それが自分と、これまで思い込んでいたけれど もしその思考が無くなったら その時それだけで、あなたが観ている世界はぐるりと反転します。 思考が無くなったそこは、在る、実存、プレゼンス、などと呼ばれるそれです。 本当の自分は、在るだけで満たされ、至福です。 存在は初めから至福であり、愛そのものであり、光です。 そこには、不安や恐れのかけらも見当たりません。

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