自我の解体のプロセス

自我の解体のプロセスということがあります。

つまり思考の解体のプロセスです。

あなたの自我は

そんなもの解体されたらたまらん!って言うかも知れません。


けれども本質の自己へと帰る道

覚醒へのプロセスとはそういうことです。

でも、安心して良いんです。

ネガティブな記憶は消えるかも知れませんが

必要なことは、必ず残りますから。

この覚醒へのプロセス自体が

イコール、自我の解体のプロセスです。


今ここに在るということは

考えが過去にも未来にもさまよっていないことです。

ということは、過去や未来への思考が起こらないことです。

そうしたら、分かりますよね。

忘れるか、思い出さないかのどちらかですから。


ネガティブな不要な記憶は、光にさらされて消えるんでした。

ではそれ以外の思考はと言えば

一旦脳裏に上がった思考は、断片であっても必ずどこかに保管されます。

いざ必要とあれば、この断片が完全形を呼び込んで復活するようなのです。

今ここでは思考されてなかったとしても

水面下では記憶は働いていて、必要な時には起こされてくる。

これは、個人を超えた全体の記憶からやってくるのでしょう。

いわゆるアカシックレコードです。

何しろわたしとは、全体そのもの、宇宙そのものですから。

個人の小さなレベルを、はるかに超えた存在であることに違いないのです。


個人を超えてみたら、仕事で必要な知識を超えて

はるかアカシックの記憶に、アクセスできることのようです。

かのアインシュタインら、偉業を残した人たちは

その記憶データへのアクセスで、インスピレーションを得ていたことは

あまりに有名ではないでしょうか。


自我の解体のプロセスの先には

輝くばかりの生命の在り方が待っているのです。

欲も得も、見栄も執着もない

たった今の、ここで、ね。




日々のつぶやき ~mananaのブログ2~

いつも頭の中でぐるぐると渦巻いている思考。 それが自分と、これまで思い込んでいたけれど もしその思考が無くなったら その時それだけで、あなたが観ている世界はぐるりと反転します。 思考が無くなったそこは、在る、実存、プレゼンス、などと呼ばれるそれです。 本当の自分は、在るだけで満たされ、至福です。 存在は初めから至福であり、愛そのものであり、光です。 そこには、不安や恐れのかけらも見当たりません。

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