欲望はそこにある ~覚醒の炎より~


~前略~


欲望はそこにある。

いつも、いつのときも、そこには絶えざる欲望がある。

自由に達した後でさえ、それはまだ続いていく。

自由は顕現(世界の現われ)を消し去ることを可能にする。

その瞬間、あなたは非顕現に入る。

非顕現からこの欲望は起こるのだ。

それはその彼方を探し求めようとする衝動だ。

これは測り知れない海、底なしの海だ。

それはすべての概念を超えている。

それは意識そのものだ。

そしてその深さを測った者は誰もいない。

空の中でさえ、この「非顕現」と呼ばれる状態の中でさえ、この「非顕現」、この自由を超えていこうとする衝動が起こるのだ。


あなたが自由を得たとき、あなたが束縛からの自由を勝ち取ったとき、あるいはむしろ、束縛という概念からの自由というべきだろう。

なぜなら、束縛はまったくの想像でしかないからだ。

ある人が自分は束縛されていると想像し、終わりのない誕生と死のサンサーラ(輪廻)に捕らわれていると考える。

それゆえ、自由への欲望が起こる。

自由が束縛を破壊するわけではない。

束縛は実際に存在しないからだ。

それは束縛という概念を破壊するだけだ。

束縛が概念であるため、あなたがそれを信じている間は、束縛からの自由もそれに関連したもう一つの概念でしかない。

自由とは、その両方の概念から自由になることなのだ。


~後略~


『覚醒の炎―プンジャジの教え』p.244-245 より


日々のつぶやき ~mananaのブログ2~

いつも頭の中でぐるぐると渦巻いている思考。 それが自分と、これまで思い込んでいたけれど もしその思考が無くなったら その時それだけで、あなたが観ている世界はぐるりと反転します。 思考が無くなったそこは、在る、実存、プレゼンス、などと呼ばれるそれです。 本当の自分は、在るだけで満たされ、至福です。 存在は初めから至福であり、愛そのものであり、光です。 そこには、不安や恐れのかけらも見当たりません。

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